大窪詩仏の漢詩を読む     愛知厚顔 70代 元会社員 2003/6/18投稿
 
 大窪詩仏は江戸中期、常陸の国(千葉県)の人。若くして江戸に遊学し、医学と儒学を学んだ。とくに漢詩に才能を発揮した。
江戸に詩聖堂という詩塾を設けて後輩を育成するかたわら、何度も全国に作詩の旅に出ている。
 文政元年(1818)の旅では京都から江戸に戻る途中、鈴鹿峠や亀山で作詩したものが〔西遊詩草〕という詩集に収められている。
漢詩などめったに読むことはないが、ボケ防止のためときどき読むことにしている。しかし現在使われてない漢字をどう読むのかわからず、間違った解釈なのか正しいのか、自分で判断できなくて困っている。

   発土山抵鈴鹿途中  土山を発って鈴鹿にいたる。途中
   風雪大作得詩四首  風雪大いにおこる。詩四首を得たり。

 悩殺詩思手幾又  詩思を悩殺して 手いくたびか又(く)む
 暁寒不畏客程遙  暁寒おそれず 客程のはるかなるを
 満山紅葉満天星  満山の紅葉 満天の星
 錦綉堆中砕玉花  錦綉堆中(きんしゅうたいちゅう)玉花を砕く

「七言絶句」
 近江の土山宿を出発して東海道の難所のひとつ鈴鹿峠にさしかかる。
ここは天候が激変するところで有名だ。詩を作ろうとする気持ちを悩ませて何度も腕組みをした。夜明けどきの寒さは厳しい。
 しかし今日一日のはるかな旅の道のりを考えたり心配はしない。
山はすべて紅葉し、空いっぱいに雪が舞っている。まるで錦の刺繍をした絹織物を堆く積んだ中で、玉花を砕いたようである。

 輿底寒威可奈可  輿底の寒威 いかにすべき
 村釀傾到酔顔酖  村釀 傾けたおして 酔顔あからむ
 余杯喚取轎夫尽  余杯 轎夫をよびて取りて尽くさしむ
 渠本無衣豈有蓑  彼れもと衣も無し あに蓑あらんや

「七言絶句」
 輿底(駕籠の中)は底冷えする厳しい寒さである。どうしたらよいのだろうか。もうどうしようもないので村の地酒を痛飲し、酔って顔が赤くなった。残った酒を駕籠かき人夫を呼んで全部飲ませた。彼らはもともと衣服らしいものを着ていない。まして雪よけの蓑など着ているはずもない。

 紅葉と初雪が同時に見られる鈴鹿峠。晩秋から初冬にかけての風情である。大窪詩仏でなくともこの景色に感動しない人はないだろう。
彼は寒さに震えながら坂下に到り関宿に一泊し、翌日亀山から四日市と駕籠にゆられていった。

  乗輿 亀山宿  亀山宿にて輿(駕籠)に乗る

 乗輿偶然来作客  輿に乗りて偶然 来りて客となる
 登山泛水半年余  山に登り水にうかぶ 半年余
 郷心何用隋湖雁  郷心 何ぞ用いん 湖雁にしたがうを
 帰思先期属滬驢  帰思 まず期す 滬驢(はろ)に属せんと
 旅飯而今新稲節  旅飯 而今(じこん)新稲の節
 起程当日熟梅初  起程 当日 塾梅のはじめ
 莫将行暦紀行路  行暦をもって行路を記すことなかれ
 烏兎匆匆両転車  烏兎(うと) そうそう 両転車

「七言律詩」
 駕籠に乗り、思いがけなく旅に出て異郷の客となった。
山に登ったり、水に舟をうかべたりしてもう半年余りなった。  
故郷を想う心を湖上を飛ぶ雁に託す必要はないだろう。
 むかし唐の長安の都の東出口にあった滬橋、多くの詩人はこの橋上で驢馬に乗って詩想を練ったが、故郷に帰りたいという思いは、私も京を出るとき橋の上を乗っていく馬に、前もってあずけてある。
 旅先での飯も、いまでは新米が出される季節に変わったが、旅に出た当日はまだ梅が熟し始めたばかりだった。旅行用の暦を手にして自分の旅の行程などを書き記すことはやめなさい。歳月は太陽と月があわただしく転がり続ける車の両輪のようなもの、これにあらためて気付くだろうから…。

 鈴鹿峠から関、亀山、四日市そして桑名にいたる伊勢。ここはむかしの旅人にとって、ひとしお故郷を恋しく感じる土地でもあるようだ。
                            (終)
 
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