東海道の昔の話(120)
   俳句会〔伊勢さくら〕  愛知厚顔  2004/9/29 投稿
 


 今日は明和三年(1766)旧暦三月四日、春爛漫の花日和です。
 皆様にはいつも俳句誌でしかお目にかかってませんが、
地元、江ケ室の吐月さんからおよび掛けをして頂き、亀山と関にお住
まいの方を中心に、今日はここ江神社で一同に集まることが出来まし
た。この筵席の準備も吐月さんのお骨折りです。ありがとうございました。江神社の桜
 皆様とは名前や地位、職業に一切関係なく、ただ俳句を楽しむということだけで結ばれた、いわば固い同志仲間であります。
幸いこのように境内はいま桜の花も満開、そして空は真っ青、私たちの今日の句会を祝ってくれているようです。
 私は砂上という俳号の若輩者で羽若に住んでます。今日はひまちを貰ってきました。どなたかにこの句会の運びをお願いしたいのですが
……、あっそうですか、では僭越ながら私がこのまま座主を務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

 では初めてお会いする方ばかりですから、皆様から自己紹介を初め
て頂きましょう。右の菅内の其阜さんからどうぞ。つぎは本町の蘭秀
さん、江ケ室の吐月さん、西町の伸伸さん、そのお隣は何方でした?
あっ失礼、野村の波状さんですね。その隣は亀山藩士の巴十さん。
関の皆様は私の左から花桜さん、涼花さん、輪鴫さんの三人です。
 今日は辺法寺の渓水さん、和田の伸亀さんや、椿世の一固、池山の
楓山、関の月岡亭さんたちは、所用があって出席できないので、皆様
によろしくとの伝言が参っております。
 
 さて今日の集いに際して、宗雨宗匠から祝辞を頂いております
 のでご披露します。
〔同人俳句誌の編纂は、灯火に向かってまだ見ぬ人を友にして      
 いるようなもの、かの兼好法師の昔話にも似た境遇です。
 いまの私はこれら友人たちの俳句を刈り集め、五月雨の日も
 冬篭りの夜も楽しむ久しい年月です。この春にはその心が
 昂揚し、遠い各地から言葉の花の一枝を恵んで下さいと、
 四方の同好の士にお願いしたところでした。
 そして皆様から渡りに舟の答えを頂き、近いところは机上の
 遅速を争い、遠くは飛脚便で追々に送られて参ります。
 亀山、そして関の皆様、初めての発句会の開催おめでとうご
 ざいます。そして本日の発句をぜひお寄せください。
                      宗雨謹言。〕

 さて、では句会に入りましょう。では勝手ながらまず筆慣らしに、
季題を一月に戻して〔初春〕から詠み初めましょうか…。

…しばらく経過しましたね。そろそろ出来たようです。では波状さんの
句からご披露をお願いします。
 
  小流も酒汲みてよき子の日かな    波状

 そうですか、波状さんはこの江神社裏で子の日(ネノヒ)を過ごされたんで
すね。一月初めの子の日は野辺に出て小松を引き、和歌や俳句を詠む遊
ぶ風習があります。亀山では小松引きとも、子の日草、姫小松、茶筅松
など呼ばれてますね。つぎは巴十さんから句のご披露を…。

  初いぬを笑うてすます末座かな    巴十

 “…えいえいえい、これいかに、御代を寿ぐ初いぬの、
  野辺に君が齢いを引き伸ばす、松は幾千代色かえぬ、
  枝を仰げば高砂の、上等場との誓い出し、底の心を
  聞かまほし…”
これはこれは皆様ご一緒に歌われるとは…。これはいまはやっている
「初いぬ節」ですが、巴十さんはこの端唄をご存知なかった、だから
末座で笑っておられたんですか。藩のお侍様ですから、その立場では…
よくわかります。 

 “…これいかに、夜な夜な事の睦言の、我れも見慣れき
  そなれ松、浜の真砂や百千鳥、かわす言の葉尽くすまじ…“

期せずして一同が後の文句を歌い出しましたね。この初いぬ節の文句
を巴十さま、よくご存知じゃありませんか。知っていて知らん顔された。
恐れ入りました。

  道々も問はれつ梅のもらひ先     花桜

 今年は冬が暖かったので梅も早く咲いたようです。寒い年は梅も桜も
桃もほとんど一斉に咲きますが、暖かい年は先ず梅、つぎに桜、桃と一
ヶ月ぐらいの差で花を開くようです。花桜さんが手折った紅梅は見事な
咲きぶりだったので、我が家の花瓶に活けることは勿論、隣近所や親戚
やら、どなたに差し上げようか…山からの帰りに、奥方から何度も貰い
先を相談された…。じつに仲良くうらやましい情景です。

  柳ふく朝や音よき馬の鈴       涼花

 ああ、涼花さんは関宿で旅宿をなさっておられたんですね。
長い冬が終わり我が家の庭の柳も芽がでてきた。今日は暖かいおだやか
な朝を迎えた。そして東海道の往還を行く馬たちの鈴も、なんとなく音
がやわらかい、たしかに春の気配を感じます。まさに宿場ならではの句
ですね。つぎはどなたの句でしょうか。

  垢のない暖簾ふくや春の風      伸伸 

 西町も沢山のお店や宿が通りに建ち並んでますが、晦日までに大掃除
をして洗い張りをし、綺麗にした暖簾を暖かい春風が吹き、はたはた
ひらめかせている。何気ない街角の風景も伸伸さんならではの捉え方で
す。

  鶯やあまり近そうで覗かれず     巴十

 忙しいお城勤めのとき、ホケキョと鶯の鳴き声が聞こえた。ふっと所縁
から御庭をすかして見たが、その声はあまりにも近い。あっまた鳴いた…
鳥の姿を探したが、あまりに近すぎるのだろうか、とうとう声だけ聞こえ
るのみで姿は見えなかった。お城勤めのお侍様で巴十さまのような句心を
持っておられるのも珍しい。

 さてまだ沢山の句が出来たと存じますが、残りは午後にでもご披露し
ていただくとし、ここで本日の主な季題の〔桜〕で詠んで頂こうじゃあ
りませんか…。賛成をたまわりましたので、まず私から一句

  分け入らん鳥の行方や山さくら    砂上

 暖かい春の風に誘われた鳥たちの鳴き声が賑やか、そして山の方に分け
入ったのだろうか…、だんだんと遠くに聞こえる。背伸びして彼らの去っ
た方角を眺めると、そこには一本の桜が満開に咲きほこっている。
まあそんな風景ですか、我ながら俗句ですね。
 つぎはどなたの句?、菅内の其阜さんどうぞ。

  柴刈も鎌忘れてや山桜        其阜

 暖かくなり山に入って柴刈をするにも楽になった。ひらひらと花びらが
舞い落ちるのに気がついた。ふっと見上げると山桜が今を盛りと咲いてい
る。あまりにも美しさについ鎌を持つ手を休め、見入ってしまった。
私たち誰もがこんな経験はありますね。

  暁の鐘もいとはし山さくら      蘭秀

 この句の印象を関宿のお三方にお願いしますよ。そうです、そのとおり
ですね。本町には名刹が多くありますが、これは蘭秀さんのお近くにある
浄源寺の鐘でしょうか、ごーんと裾を引く暁の鐘の音、その余韻をさもい
とおしそうに、桜の花が咲いて見守っている。本町ならではの句ですね。

  香よりまた色に愛でたる桜かな    吐月

 巴十様も私と同じ印象を持たれたそうです。まったくこのとおりでしょ
うね。梅や桃と異なり桜の花はあまり個性的な強烈な香りではない。
けれども私たちはこの高貴な香りが好きです。しかも花びらもそれに合致
した薄い桃色です。一歩うしろに控えたような健気さ…、そんな桜の美し
さを日本人は好むのでしょう。やはり江ケ室ではこのお宮の桜が一番の
名所でしょうか…。

  芳野では晴をとりおく桜かな     伸伸

 吉野山の御神体は桜の木を刻んで造られたと聞いてます。あそこでは
桜を神の木として大切に守られてますね。ひとめ千本、奥の千本など、
山全体の桜がつぎつぎに咲いて、それこそ山上の楽園聖域といった風景
ですが、晴れた青い空に桜の花が逆光に浮き上がる。なんとも云えない
美しさ、いつまでもこの晴天が続いてほしい…。そう願う心情はよく
理解できます。西町の伸伸さんは昨年の春に吉野に旅されたのですね。
はい、つぎは野村の波状さんどうぞ。

  世を渡る人も休める桜かな      波状

 これはこれは…、世間を渡る人とは私ども皆を指していますね。
世の中に必死に生きている私たち、そこには喜怒哀楽、苦しみ楽しみいろ
いろな波を乗り越え、それぞれが生活しています。慌しい毎日の生活の
中、美しい桜の花に出会うと、ふっと少し心が休まります。
 桜の花は私たちの心を癒す薬でもありますね。

  永い日を人に晒すや桜坂       巴十

 この桜坂とは亀山城の石坂門道のことですね。
この坂の両側は見事な桜の大木がいまを盛りと咲いています。巴十さま
がここに来られるとき、ご覧になったようですが、今日は一番の満開だっ
たそうですね。この季節にこの坂を上り下りする人は幸せです。
それを知ってかどうか、春の永日のなか下から振り仰ぐ人々に、彼らは
花を誇らしげに見せてます。
  
  花も人に酔うて遊ぶや山桜      輪鴫

 関宿から来られた輪鴫さんの句。そのとおりですね。さきほどから頂いて
いるお神酒のお蔭、少し心地よい酔いが廻ってきました。このお宮の桜たち
も私たちを見て、さっきから羨ましがっているようです。いやあ…もうすで
に好い心地に酔っていますよ。
 
 今日はまだまだ日は高い。たっぷり時間はあります。
これからは季題を変え句をひねりましょう。午前中の部はひとまずこれで終
わりにし、お神酒とお昼を頂きましょう。江神社の神木



 参考文献     西尾市、岩瀬文庫所蔵 〔伊勢さくら〕    

 
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