東海道の昔の話(143)
     両尾町の彌牟居神社  愛知厚顔  2005/5/18 投稿
 


 インターネットのヤフーが提供する亀山地方の地図を眺めてみた。
すると安楽川の川沿い両尾町平尾の東、安楽川に面する小高い丘の上
に、彌牟居神社という不思議な名前の神社が存在することが判る。
  『これはどう読むのか…、絶対なに意味があるぞ…』
そう思い込むとさっそく調べにかかる。ずっと昔の延喜式神名帳というものには式内彌牟居神社がすでにあり、その読み方もある書物では
  『これはイヤムコと読む』
と云い、ある説は
  『これは万葉仮名でミムコかミムケだ』
という。そしてこれに詳しい解説をした学者がいて
  『これはミムケと読み、ミは水のこと。ムケは深すなわちフケ
   である。これをミブケと称していたのだがいつの間にか
   ミムコとなった』
という。この神社の場所も
  『鈴鹿峠の北にある三ツ子山だ。』
と強硬に唱える学者もいたらしいが、勢陽五鈴遺響や亀山地方郷土史などでは
  『両尾のいまの場所以外はありえない』
というから門外漢の素人たる自分もそうだろうと思っている。
この地籍は前は鈴鹿郡野登村大字両尾だったのだが、いまは亀山市両尾町字彌牟居の何番地かになっている。

この神社は安楽郷を代表する総社として、原尾、安楽、池上、坂本の集落とともにあった。もっとも古いものでは貞享四年の古文書、これにすでに式内社として彌牟居神社の名があるという。
主神は建速須佐之男命であり、脇神にイザナギ大神をはじめ二十四柱が合祀されている。明治になって村社に列せられ、さらに数多くの小さな村社をここに合祀し、あらためて式内彌牟居神社と称されるようになったそうである。
例大祭は十月六日。主な氏子は両尾町と安坂山町の約六百世帯。
宮司は元禄以前の古い時代は平尾村の岡山家の世襲だったらしいが、
その後断絶して野村の大久保氏が引き継ぎ、いまはまた別の宮司が
司っておられる。
境内は三千七百余坪の広大なもの。素晴らしい自然環境のなか、緑に囲まれた本殿は神明造りで間口二間半と奥行きが一間半のこじんまりとした佇まいである。そして拝殿と手水舎、社務所の設備も整う。

そしてこの年の秋、彌牟居神社にやってきた。
野登山に登った帰りにふっと立ち寄ってみる気になったのだ。そしてそこには思ったとおり、荘厳な雰囲気と美しい自然に囲まれた瀟洒な
社、それが期待したとおりに静かに鎮座ましましていた。
亀山には格式ある神社が多く知られているが、このような隠れた神社を
あらためて訪ね歩き、謂れや社伝あるは存在の意義を調べてみるのも
また一興ではないか…と思っている。彌牟居神社

参考文献  「亀山地方郷土史」「勢陽五鈴遺響」「九九五集」
      国学館大学「式内社調査録」

 
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