東海道の昔の話(168
       松平乗邑「亀山訓」                     愛知厚顔  2007/4/30 投稿
 


 松平乗邑「亀山訓」 その1

 松平乗邑は宝永八年(1710)に鳥羽城主から亀山城に転じた藩主である。先祖は三河西尾の出身だが彼は貞享三年(1686)に生まれ、元禄三年(1690)にはわずか五才で北九州の唐津城を相続し、翌年には志摩国鳥羽城に転じて廿年も治世を敷いた。
彼は亀山城に入った翌年の正徳元年(1711)、まだ二十五才の青年藩主だったが、有名な家訓「亀山訓」を発布した。

 彼は「亀山訓」発布の趣旨を
 「文章では皆が知っているけれど、もっと意味を知り
  たいと云う者があるので、筆をとって注釈をした」
と説いている。十七ケ条の「亀山訓」は藩士の教育の根底だが藩法という位置ずけに立ち、武家法度の精神をふまえ、他の藩の藩法と異なり、最大の特徴は藩主みずから十七条のそれぞれに、平易な注釈を加えた点である。たとえば
 「一分の情にくらまかされて」
とか
 「さてさて、たしなきこと」
とか
 「其のうらみも、おのずからほどけて」
などの語彙は大名の使う言葉ではない。西三河の片田舎の集落での日常語であり、なんとも親しみやすい響きがある。

 亀山訓の全個条は、当時の封建儒教道徳の思想が大きく影響したものだが、松平乗邑がこの中で強調していることは
 「実=実体=誠=まこと=誠実=真面目」
であり、
 「まことを本とせよ、との教えによりて思うとおりを
  書きつずりたり」
と序文に述べている。
 亀山訓は膨大な長文だが、いま読んでも通じるものがある。
もともと平易な注釈があるが、ここでは更に現代語に意訳して紹介する。どうか最後までお読み頂ければ幸いである。

【亀山訓序】
 我が家の郎党家従はみな先祖代々から仕えてきた者である。代々の藩主は家訓を示して教えてきたが、我もまた志摩の鳥羽に入ったとき、父祖から引き継いだ旧い家訓の中から十五条ばかり選びだした。その後、伊勢亀山に封じられたとき、また十七条ばかりを選び補した。ときに宝永八年四月一日であった。文章では皆も聞いてはいたが、意味が知りたいと傍の者たちも言うので、筆をとって注釈を加えてみた。もとより愚昧短慮であり少しも庭訓らしくもないが、おもうところを書き、見せてほしいという人に見せてきた。筆がおよぬ点や心が至らぬ点は恥ずかしいが、一章でも人のためになるならば、それで良いと思うばかりである。人の道を極めるには聖人の教えに勝るものはない。唐土の教えやわが国の教えにも浅学なので、少々は道理に合わぬこともあるだろうが、私が自分なりに道を研究したあとに、とにかく意味をよく我が身に比べ
 「まことを本とせよ」
との教えによって、思うとおりを書き続けたのである。頭の良い人は耳がたいへん聞き苦しいと思うが、これは私が思うとおりを書いたものである。読む人が悪いと感じたり、道理に合わぬと思ったら私に教えてほしい。私もそれでまたひとつ勉強できる。だからここに書いて顕したものである。
     亀山主    源乗邑  自序 

松平乗邑「亀山訓」 その2


 条々
【一、公儀御法度の趣下々に至る迄、相そむくべからざる事】

 公儀御法度とは将軍家の御法度のことであり、堅くあい守ることだ。下々にいたる奴僕雑人までも、かたく相守るようにとの事である。あるいは組、あるいは組織支配の下人にいたるまで、固く申し聞かせて守らせよとの事である。

【一、文武忠孝の志をはげまし】

 文とは人の道を指し世間は儒という。儒道とは自分とは違う他のものと解釈すると、悪いほうに入ってしまう。すなわち人の道である。聖人は多くの書物で人の道を教え給う。文といえば当世では一般に博学にいたるものを言う。文章をひろく読んだり見たりしても、その意味すなわち心を知らなければ自分の為にならない。意味を知ってもそれを実践しなければ役に立たない。いま学者たる人を見聞きすると、口ではもっともなことを説くが、その行いをみれば少しも人の道に叶っていない。人は言行一致をもってよしとすべし。人は天地の間の大霊であり、万物はみな人のために生まれてきたのだ。中国の学問書の四書五経を初め、わが国の神書または和漢の軍書を見ること。そして一分にくらべ我が身を顧み、我が身の非を悟って非を改めることが大事だ。

 わが身のうえで隠そうと思う心はみな非と心得ることだ。
人と生まれて善悪ということは自然に知る。それを知るのは本心のなかに明徳があるためだ。人のうちに盗賊ほど悪人はない。
それ故に世間ではみな彼らを憎む極悪人だからだ。その悪人も善悪を知っている。悪を思っているから人が見ているところでは盗みはしない。これは悪いと知っていながら、自分の情に負けて行う行為だからだ。非をあらためることから始まり、悪への誘惑を退けることは、心を清らかにする入り口である。人には隠すことがあっても自分の心には問え。心が自分の心に隠すことはならない。我が心に隠すことがないよう、万事をはからえ。非を改めるというのは、自分の心ながら我が心に隠すことがないようにすれば、人に隠すこともなくなる。一章を見ても自分の心にしっかりと納得し、納得のゆかぬことは自分より知識の深い人に聞いてみることだ。すべてすこしの心ばかりで行うは悪い方にいく。これも人に聞いてみること。人の思うことを聞いてから行えば、善はいよいよ善となり悪はいよいよ悪だと判るだろう。

 それが善だったら行ない悪ならばしない。それは悪が善に戻る道である。とくに心得ておくことは、自分の行いよりも良い行いをする人、それをいろいろと批判してその人を嘲けたがるもの。自分はそれより悪いことをしても良いと思うものだ。
まず自分がやろうと思うことがあれば、もし人がこのことを行ったならば、自分はどう評価するだろうと自問しなさい。そして良いと思うなら実行し、悪いと思うなら止める。他人がこのようにしたならば、傍で見ていて自分は良いと思うなら実行すればよい。これすなわち身をかえりみるということだ。何事も道理のほかに道はない。人に道を学ぶのには、大学、論語、孟子、中庸など中国の古典に勝るものはない。また小学を学んで人の道のはじめを知ることだ。

 武も書に説かれている。書にも武がある。忠義孝養も勿論説かれているので、その志を励まして人の道を極めるよう願うことだ。武は文と武の車の両輪であり、乱世を治めるのに必要である。平和な世には文力でおさめ、乱れる世には武力を以って
治めるという古語のとおりだ。武も文から出ている。利欲をもって武力を用いるのは盗賊にひとしい。だから世に士農工商の四民がある。一つも欠けては四海は安泰ではない。天地の間に住むものは、衣食住の三が欠けては安泰の願いが叶わない。
あるいは田畑を耕し、あるいは養蚕をやしなって衣食住を保つ人を農民という。また器をこしらえ家を建て住居を提供し、諸色をこしらえる人を工人という。器を農民にくばり食べ物を工人に提供する人、これを商人という。

 国の農民が栄えるなら穀物の収穫が増え、国の工人が盛んならば器具が充足される。国に商業が盛んならば品物が満ち溢れる。けれど国に守護する人がいないときは、耕作しないで食物をあさる。工人は何も造らず家に籠る。また金銭を支払わずに品物を奪う。この三民が乱れる邪悪なものを盗賊という。その盗賊を征伐して三民の生活を安定させ、太平の世にするの役人を武士という。士農工商の四民とはこういう関係で成り立つ。
このことを知らないものは武士ではない。文からでた武ということは、このように三民を安心して生活できるよう守ること。
三民を悩ますものを征伐して平安を保つ。このような志から武力を用いるのは天道に叶う行為である。利欲から出た武力というのは我欲で国を盗り、自分の歓楽の心かた出た武力は盗賊そのものである。
    

松平乗邑「亀山訓」 その3


 たとえば源頼朝公は平氏を討って国を治めたが、その後は北条氏に政治の実権を奪われた。けれど北条時頼は文を柱に置いて政治を行ったので、その後八代も政権が維持できている。北条高時は奢夥にはしったためまた世が乱れた。政事を安定させようと努力したし、建武年間の後醍醐天皇もお志も努力されたが、やはり栄華歓楽の御こころが大きかったのか、ついに南山へ行幸され足利尊氏の思うつぼになった。これも文の心を理解できなかったため、足利政権も義詮の代までは世を治めることが出来なかった。尊氏の孫、足利義満が将軍のとき執事に細川武蔵守頼之という人がいた。この人は文をもって政治を施して世は太平になった。
 足利義教公は将軍だったが、人の道に外れる行為があり、ついに最後は赤松某に殺害されている。足利義政公は遊楽ばかりにふけっていたので、細川や山名などの有力大名が争い、応仁の乱が起こった。足利家に将軍が沢山出たけど人材は皆無に等しかった。

 織田信長公は勇猛で豪胆だったけど、仁心の少ない人である。だから
最後はまたよくなかった。豊臣秀吉公は稀にみる大志の人だったが、織田信長の子孫を蔑視し、歓楽と遊楽に走ってしまった。だから生涯をまっとうしたと云えず子孫はみな亡んでしまった。我が東照宮、徳川家康公は文をもって仁心を基本とし、義によって兵を動かされ給うゆえ、天下は統一され四民は安住す。文は人の道であり天道に叶うことは歴然としている。人が天に得るところは仁、義、礼、智、信の五常である。
信というのは心のまこと(誠)から入るのが第一である。信というのは実である。実がなければ人間ではないと心得ることだ。我が身を実にと心がけ、少しでも偽がましいことをしないようにすべきだ。人は天から偽りを受けていない。一時の迷いや情に流され不実をしたとき、とにかく実に実にすれば、迷いや情欲は日々に消える。それからは明徳あきらかになり、天から得たような人間になるだろう。人道を明らかにすれば武も自然に理解してくる。これは疑いのないことである。

 「軍書をみるには心もちあり、秘なり師に尋ぬべし
  この意味しる人はすくなからんか」
忠義孝養は人倫の第一である。不実では五倫ともに誠ではない。誠でないときは人の道を失う。忠も孝もとにかく実にせよ。一人の部下を奉公させるときも、部下がよく奉公して主人の心に背かず、まじめに努めることは実を体であらわしたものである。一時期だけの奉公人を先祖代々の奉公人にできるし、たとえ暇を出しても奉公を懐かしみ主人に感謝するものだ。奉公人が主君の言うことを聞かず、奉公を怠たるようならば、それは主君の指導がよくないからである。大勢の人を奉公させることも、一人を奉公させるのも代わりはない。その忠義というのはとにかく実にさえ奉公すれば、主君に背くことはない。孝養も親によく仕えて、少しも親の心が苦しむことがないようにせよ。孝養の心持ちひとつである。

 自分を生んでくれた親はこの二人より他にいない。ならば有難いことだと、実(真心)から感謝すれば、不孝の心は起こることはない。親である人が思うには、すべて我が子の人柄の良いことを喜ぶ。我が子を思うように、親も自分を憐れんでくれるようならば、真心を元として忠も孝も君父の恩も高くなる。主君に一日を養われ一生をおくる。親はまた我れを生み主君に仕えることを教え、我れに家督をゆずる。親は二人、主君は一人である。よって世間は二君に仕えることを憎む。主親の恩もこのような状況だ。よく考えてみれば、それが高いこと深いこと、身のおく場所もないようである。さて自分が病気にでもなれば、親にとってその苦しみは病む子以上に苦しい。だから病を親に見せないように、常に健康に留意しなくてはならぬ。

 第一に人柄が良ければ主君も深くあわれみをかけ、親もいとおしみ歓こんでくれる。人柄が良いと言うことは、前にも述べたように、とにかく真心でさえあれば、人柄が悪いということはない。本心というものは嘘がないものである。真心が本心ならばいっそうのことだ。主君によく思われたいと、軽薄な行いがあればそれは真心からの所業ではない。親にも表向きだけの親孝行で、真心が伴わないならば、それは外聞だけの孝養となる。何事も実=真心=から出発する。自分の心の真心に聞いてみるがよい。悪いこととは我が心で判るものである。それで判った心のとおりに、「実」であると思うなら、その志は日々に考え勤め心を「実」に向け、努力していけばよい。養父母の恩はなお深い。本当の子供でもないのに養ってくれるのは、実父母よりも深い深い恩である。孝養をますます深くつくすべし。

 病気があれば忠も孝もまともにできない。「実」から考えるなら我が身の健康を保ち、一日も命を長くして忠も孝もつくしなさい。健康な者は健康に甘んじて不摂生な生活をおくる。病弱な人はますます病気のことを考えて養生が必要だ。強弱ともに健康には充分に留意しなさい。ただただ身体を大事に思うことだ。
 中国唐土の人は身体、髪、皮膚などは父母から貰ったものと、髪も剃らず髭も抜かず、もとより身体に疵をつけずに大切にするという。曾子という人は年老いてまさに死ぬ間際、弟子たちを枕元に呼び
 「我が手を見よ足を見よ、万一疵はついてないか、父母から
  受けたとき無傷で生まれのだから、また無傷で元の場所に
  返すのだ」
と云われそうだ。これは身の疵だけではない。心の疵もかねてから言われている。身も心も傷をつけずに元の父母のところへ返す。このことは
片時も忘れてはならない。大抵の人はこれを忘れているため、主君に不忠をし父母には不孝をしている。奉公人はこの身は我が身にあらず主君の身であると心得よ。また子は我が身は父母の身であると心得るなら、自分から忘れてしまうことはないだろう。

 世間にはだんだんに出世して重い役職についた人がいる。中には主君の対応が悪いと恨む人もいるだろう。その人がもし主君の命令に従わず、一段下の役職に降格されたとき、その人の心は無念の思いで主君の対応を恨む。それは大きな間違いである。こんなときは我が身をかえりみ、自分のかっての昔の姿を反省するとよい。自分がもし主君に見出されず、軽輩の奉公人のままであったなら、このような降格されることもない。主君を恨むこともない。自分がいまこの恨みがあるのは、主君が自分を引き立てて立身させてくれたからだ、いま一段下に降格されたのも大いなる君恩だと、昔のことを思い出して反省すれば、その恨みも自然に消えてしまうだろう。そしてますます忠心から奉公することである。
 このことを深く考えれば、奉公人たるものは主君を恨む心があるとき昔をかえりみ、父祖の代から受けた主君の恩をかりみよ。この世の中でだんだんと取り立てられ、立身出世したという件より以下の話、これは保科羽林中郎将源正之さまが近侍の者に申されたと聞いている。まことにもっともである。
                  

松平乗邑「亀山訓」 その4


 【一、軍役の人づもり、ならびに兵具分限に応じ所持
  いたし、いたずらに日をおくるべからず】

 軍役の人づもり並びに兵器は、身分相応に応じ所持すること、と書にも説かれている。持つべき人が持つべき兵器類、それはほどほどに持つのが肝要だ。これにいろいろ品があるが、身分相応の兵器具を持ちなさい。自分に不相応な高額な兵具を好み、武器だからということで、無理をして持つことは悪いことだ。腰に挿す刀や脇差も、札折り紙つきの高級品を秘蔵するなど、無用のことでもある。
刃性がよくて鍛えがよく、敵を一人でも多く討って討ち死にする。これが武士の第一の道である。心は勇猛であっても、刀が切れなかったなら思うように戦えない。むなしく敵に生け捕られるか、雑兵にかかって首をとられる。よく働きよい死に場所を得たものは、奴隷であっても後の世まで名を残す。人は一代、名は末代。これは武士が第一番に
願うことである。

 人は名を惜しむべし。前に述べたように武というのも人の道である。人道に叶いたければ、まず武士に生まれた身なら武の業を極めよ。それが自分の職業であるからだ。我れ自分というのも人である。人の道に叶うよう考えよ。人に生まれて、その職業をまじめに勤めなければ、人の道にも背き職業にも背く。人間に生まれて人間で無く、武士に生まれて武士でない。いたずらに空虚な日々を過してはならない。自分の職分をよく考え、人としての道を勤めようと、心がけることは悪いことではない。得にならない慰みや遊楽に走ることは、どれほど損なことだろうか。いたずらに空虚な日をおくらず勤めなさい。
 ひと並みに勤めておればよいと思うのも問題だ。どうすればよいかと、思い悩んで我が身をかえりみよ。職分が未熟では大変恥ずかしいことだ。商人なら売り買いができなければ身の置きどころもない。農民が耕作を放棄すれば乞食になる。工人もまた同じである。武士はまた四民の一つであり、主恩を得て国を治める役目である。何もせず平穏に一日を過すことは、盗賊を平らげ乱れた世を治めるためである。だから常に乱れていた時代を忘れず、自分の職分を忠実に勤めることだ。こんなことは改めて云わなくても、武士の心にあることだが、わざわざ筆をとって書いのである。

 私自身もいたずらに日々をおくるときがある。寒い日には火にあたりたいとも思う。暑いときは涼しいところを求める。これは実際のことだ。ものに触れると云うことは、筆をとれば書き物をしようと思い、碁盤を見れば碁を打ちたいと思う。このように眼に入るものみな触れるのである。聖人の書を読めば、良いことに触れるから、自然に心も修まれる。傍に置いておきたいものは、聖人の書、竹刀、槍、木刀、長刀、弓などだ。このようであれば良いことに触れたように、人の心は元来清らかであるから容易く染まり移る。悪いことには移りやすい。常に触れるものによって、明るくもなり暗くもなる。いつも側にあるものから、善悪が移るのだから、よくよく心得ておくことである。

 琴、三味線の類や酒器、好色の本などは遠ざけること。見るもの聞くものにつけて、深入りし情け厚くなると、鏡が曇るように本心が暗くなる。よくよく心得ていつも鏡が磨かれ、明るく美しいように保つこと。本心が真心であれば明るくなる。悪いことがあっても早く反省できる。真心から我が身を顧るのが第一である。人のことではない。自分が持っている本心を磨くことなく、うち捨てて置くのは大変惜しいものと思え。人は自分が大事にしていた諸道具が、手元を離れると大変惜しむ。自分が持っていた一生離れないものを、空しく曇らせておくことは大変気の毒である。このように目に入るもの耳に聞くものから起ることだから、心をまず真心からと心つけて、空しく時間を空費してはならない。世間の人はこれが身に染みず、いい加減にすることを「軍役一遍」という。武士たるものの口にする喩えではない。不実不忠から出た言葉である。
 武士は軍役が大事である。役目をいい加減に勤めることを軍役一遍という。武士の心に不実があるときの言葉だ。武士の道で戯れにも言ってはならない喩えである。「勤め一遍」という言葉も同じ道理であり、奉公人の口から言ってはならない言葉である。 


松平乗邑「亀山訓」 その5


 【総じて諸奉公人は常々風俗よろしく
  相慎むべき事】
 
 奉公人は風儀も大切であり、つつしむことだ。風俗とは上役に好まれることを風という。下役がそれを見習うのを俗という。上役が好まないことを下役が好むことはない。上の真似をして下に似合わないこともある。これは自分の本心に真心があれば判ることだ。上の人が悪いことを好めば下は見習う必要がない。よろしく相慎むべしとは上下ともに慎むべしということである。上役でも良からぬことはしてはならぬ。慎みは両者共に示すため書いたものである。

 付記。
 【当の城下は往来の駅他国人が多く入り交じりの
  条万端心付け不作法無きように相慎むべき事】

これはよく知られた文なので、すでによく判っていることと思うが、例えば同僚に対しても軽輩の者に対しても、不礼を働いてはならぬ。同僚も軽輩に対し草履で顔を叩いたり、足で頭を踏みつけてはならぬ。これは天から貰って礼というものだからだ。主君と下役との間にも礼儀がある。まして他国の人との間にはそれ以上のもの。これは我が身が実体ならばこのような非礼はできない。五常は人の道である。よくよく心得てほしい。五常とは仁儀礼智信のことである。

 【喧嘩、口論、謹慎を加うべし】

 喧嘩も口論も少しの誠心がないことから起る。だから「よく慎しみなさい」ということだ。武士は主君のために死を畏れない。忠孝にも叶うことである。喧嘩や口論は大体それぞれが、意地を立てることから起るものだ。少しでも真心に従っておれば、他人が気にするようなことは云わない。また人の云うことも気にならない。世間の喧嘩をよく調べてみると、十のうち九は堪忍して済むことである。堪忍ができなくて武士の道が立ち難いならば、人を集めて意見を聞き「もっともである」と書類にするべきだ。けれどそれも主君のためには忠にならない。一人でも無事であり、主君の用事に一人でも多く役にたってこそ、まことの忠義である。世間の喧嘩を見聞きすると、たんに一朝一夕の怒りから起っている。

 例えば自分が「これが良い」と思ったことを、他人は「それは悪い」と云うか、または耳に刺さる言葉から激しい口論叱咤となる。これらはひとかたならず不実のためである。実すなわち真心からの喧嘩をしたという話は少ない。まず自分が「良い」ということを他人が「悪い」というなら、自分の云う理非をよく考えて是非を悟ることである。自分で判断に困るなら他人に相談せよ。他人が「良し」と云うなら、「悪い」という人にたいし説得することだ。これは早くやるがよい。自分の非をさとることが遅くなっては、何事も用に立たない。口論におよんだうえに説得できなければ、それは臆病というものである。はっきりと善悪を覚った人からは、臆病とは別の見方が出来る。とにかく我が身を顧みて、心が真剣ならば犬死や喧嘩はしないものだ。だからこのように法度で定めた。

 第一に喧嘩して主君のためにならないことは、主君は一切関知しない。忠義のための死こそ本道である。自分の小さな事で死んでしまっては、大きな嘆きと心得ること。忠孝ともに欠けてはならぬ。人品を慎しみ節度を守れば喧嘩や口論はしない。酒を飲んでの口論、喧嘩も世間には多い。酒を飲み
すぎて泥酔するためだろう。武士のやることではない。わざと本心を乱す乱心者である。本心が乱れるために違いがある。乱れなかったら何事も起らない。第一に酒からして本心をくらまかすことが多い。武士は覚悟しておくだ。また酒を飲んで本心をわざと乱す。これは鳥獣よりも劣ると思うべし。もし城内で喧嘩があったとき、当番の役人はその持ち場を守り、みだりに馳せ集まってはならぬ。けれどその場が近くであれば、油断することなく格別に行動してもよい。

 もし城内で喧嘩があれば、当番の役人はその席、その場所を守り、喧嘩の場に行ってはならぬ。戦場において名乗りを上げたいとき不覚をとる。戦場にのぞみ合戦が始まるとき、先峰の者が主君が心配だと思い、側近旗本がまだ乱れてないのに、旗本に集まってくるのは不覚のもとである。また側近の旗本が、命令もないのに先峰へ突進し、比類なき戦いをして敵の首を取ったとしても、それは不覚な行為である。主君を守るべき旗本の武士が、先手に出て名乗りをするのは、一部だけを見た軽率な行為。たとえば広間で喧嘩があったとき、主君の近習の者が出ていって取り静めたとしても、主君の命令がないときは手柄にならない。また近習に同じ出来事があったとき、命令がないのに広間の武士が、騒ぎを鎮めても同じく手柄にならない。

 だが一間を隔てた別間の場合、あるいは通りがかりなどの場合、そのときは別である。まして同席の者はなおさらである。だから喧嘩に近い番所は、格別に留意がいるというのである。狼藉者を追いかけて、持ち場を離れて遠くへ行っては、手柄ではなく品違いである。これらもいろいろな場合があるので、書くのも難しい。ともかく実体で判断し道理に従うならば、大きな間違いはないであろう。
                

松平乗邑「亀山訓」 その6


 【番所において喧嘩口論仕るにおいては理非を
  云わず双方落ち度たるべし】

 番所、番所は主人を守護する役所である。狼藉があったときは取り鎮めるべき場所である。その役の者はその場で喧嘩口論することは、いかなる理由があろうとも行ってはならない。云うには及ばないことだ。

 【城外、侍屋敷において喧嘩口論、これあらば役人
  のほか下知なくして推参すべからず。然りといえど
  も、その近辺の族は早速馳せ集まり、宜しく取り
  はからう事】

 城外、侍屋敷でこれらの出来事があるとき、城内の同輩または棟を隔てて居住する同僚も、命令なくして役人のほかは騒動の場所に行ってはならぬという事だ。これはまた後で書くが、当番の役人はその場所を守る役目ということを考えてみよ。このことは各々がよく知っていることだから、くわしくは書かない。
 付記。
 町の中から喧嘩、口論、盗賊の報告があったとき、さっそく町奉行、大目付に報告を糾明をなすこと。周辺の村落で郷方支配の場所では、大目付、大代官ならび代官が早く処理すること。他国人の場合はなおのこと、大切に取りはからうこと。

 【一、火の元もっぱら念を入るべし。若し城中において
  出火の節は定めの通り、早速馳せ集まりこれを防ぐ
  べし。当番の輩は其の所を守り往来を相改め油断す
  べからざる事】

 火災があったとき火元周辺は騒がしい。誰しも家を焼いて心地がよいものはない。とくに念を入れて用心すること。「若し城中に」と、云うとろこから以下は、はじめの手柄や不覚の意から見ると、同じ意味でもある。城外で火事があったときは、かねてから決められているとおり、命令がないときは一切懸けあってはならない。当番の役人は勿論のこと、城中の者もその場所へ行ってはならぬ。これもかねて伝えていることである。

 【一、勘当曲事、相行うの族へ一切通路致すべから
  ざる事】

 主君が勘当や罰を申し渡した者に、便宜を図ることは後ろ暗いことだ。親子兄弟も悪い仲間と縁を切ったはず。親子兄弟とも主君には替えられない。自分の親でも悪い行為を見逃してはならぬ。悪事があればよくよく考えて慎んで諌めよ。云うことを聞かなければ死ぬとも云へ。子が死をかけて諌めるのに聞き分けない親はない。親のことを子が訴えることはない。兄もまた親と同じである。小田原の松田左馬之介は、親が反逆するのを知り、それを主君に告げたが、忠ではあるけど学がないためである。学があれば親を諌める方法もあっただろう。小松の内府、平重盛公は平清盛公が皇居を攻めようとしたとき、諌めたことがあるが、これは誠の孝であると知るべし。この内府、平重盛公は忠も孝もある人であった。そのほかの一族、みなこれより了間が狭い。弟より以下の親族は勘当や義絶にも当たるのに。二心ない人は主君に後ろ暗いことはない。真心があれば二心はない。
 付記
 浪人者を雇い置いてはならぬ。どうしても止むを得ない理由があるときは、役人に報告して指図を仰ぐこと。理由もなく浪人を抱え雇うのは無益なことである。よってこれらはすべて固く守るべきものである。   

松平乗邑「亀山訓」 その7


 【一、諸役人一分を顧みず役儀において存じ寄りの通り
  へつらい無く一筋にこれを相勤むべし】

 一分を顧みずとは、一分をかまわずに勤めよということだ。役人という者は何役でも、その役職に言いつけて、主君の意思に叶うようにするものだ。だから役職にある者は、心力を尽くして、主君のためになるように努力すること、不誠実に過してはならない。役人の次第では下役の者が主君を恨む。何も知らない主君、役人の些細な不注意が下役の恨みを買い、それが主君に向けられる。これは不忠、不義、不実この上ない。まさに逆心そのものだ。知ってのとおり、少しもへつらうことなく一所懸命仕事をし、自分の意見があるときは、上役に申し出ること。上席の役人になればなるほど、それぞれに大事なことである。

 また同じ役職の者が話し合い、一同がもっともと合意させること。合意ができないときは主君に伺いを立てること。
迷うことは心に不誠実があるときだ。多少の意見の違いを「これは誰それの云ったこと」とか、「これは何某が心易くしゃべったこと」など、道理を悪いほうに曲げたり、または主君の歓心を得ようとして、他の者の悪を大目に見逃す。これらは至極の怠慢行為である。誰でも悪は悪であり善は善である。道理は理と非とに誠実に対応し、少しも隠さず一筋に誠意をもって仕事に励むこと。このように申しあげたなら主君は気にいるだろう、このように申しあげたら、上役の誰かに差障りがあるだろうとか思い、云うべきことも申さず、隠すのは皆へつらい不実である。誠実にさえあれば迷いはしないものだ。不実の人は人ではない。役人はほかの人以上に誠実であれ。

 同僚と懇談しているとき、相手の主張に少し支障があると、気の毒に思って非を理に変更して、庇いたいと思うものだが、少しでもこの魂胆があれば、同僚もなごやかな雰囲気にならない。何事も道理のほかは無い。自分が言い出したことを良いことだを思い、他人の言うことは駄目だと思うものである。とにかく誰が聞いても、人にさせても「もっともだ」という義理が当然。このことが一番肝要である。我が身を顧りみ誠実であれば、自分や他人の非も理も自然に明白になるであろう。

 【惣じて利害贔屓をもって道理をまぐべからず】

 利害とは利欲のこと、贔屓はもちろん世間ではよく知られている。その利害贔屓をもって道理を曲げることは、人間がやることではない。よくよく慎みなさい。私欲があっては利害や贔屓にはまりやすい。誠実であれば利害贔屓はこれ以上強いものは無い。
 「詮議するに私意を挟み人言を拒むべからず、思う
  所を隠さずこれを申すべし」
 詮議というのは大小にかかわらず、事の道理を非か理かを糺すことだ。それに自分の私見をはさむのは、私欲から出ることである。私欲があるために私の情がでるものだ。人の発言を拒むのは同僚であっても、同役であっても詮議するのに、人の発言を押しのけ自分の云うことばかりを理にする。これはまた私欲、我がままからの所業である。どのようにでもあれ時と場所に望んで、道理のおもむくほうを取ることが肝要である。

 誠実であれば私欲にはしらない。思うとおりを有体に発言し、話し合いを行い事の結論を出すこと。いろいろに意見が分かれたら多数決で決めるのがよい。それとても少数意見に至極もっともと思うところあれば、思ったところを質問してみるがよい。疑問があるのに黙っているのは、また二心があるのと同じである。
 また上役や下役に限らず、農民や町民などに至るまで、死罪に相当する犯罪人が出たとき、江戸在のときはその旨を詳細に書類にし、穿鑿の場に役人を列席させ、連判をもって役所上司に伺いその指示に従うこと。

 武士は言うにもとよりおよばず、農民や町人に至るまで死罪はもっとも思い極刑である。だから念のうえにも念を入れ、死刑、犯罪の内容を詳しく書き記し、その役人の判決決裁の連判をもって、これを役所上司に相伺い、指示を待つべきである。人が命を失うということは重いことだ。理にあたれば死刑も執行されるが、そのことを役人一同がよく理解したうえ、連判の書状でもって具申せよとの意味である。
 付記
 寺社ならびに農民や町民から贈り物など一切受けてはならぬ。この旨は藩の組織の末端まで固く守ること。これは役人の支配を受ける者から、贈り物を受けては心ならずも不誠実の原因となる。第一に廉直ではない。よって下々の役人にまで固く申し憑けるものである。人間の情が多いなかでも、色と欲は迷いやすく眩みやすい。重役たる者からはじまり、下役までもしっかり慎むべきことだ。少しでも怠って一紙半銭を受ければ、他人から私欲と云われても申し訳できない。人に騙されるだけでなく、本心を見失う大きな恥でもある。ものの礼儀と不誠実者の軽薄追従はまぎらわしい。そこから欲心も起ってくるから、これは固く止めるよう申しつけておく。 

松平乗邑「亀山訓」 その8


 【一、権威をもって下を蔑如に致すべからず、一分謙退し
  て廉直を基としこれを相勤むべし】

 上にたつ役人から下の役人に至るまで、権威をふりかざし、下の者を侮ってはならない。下の者に自分より勝る者がいると思い、少しは慎むことである。俗に言う目八分に人を見る。下目に見るなどということは、狭い視野で人を愚かに見下すことである。自我を立てるために他人をないがしろにする。それはどのようなものも軽蔑し、いうべき言葉もない。たとえば上の役人に下の役人が物を言うとき、上に立つ者は権威を振りかざしたならば、下の者は口を閉じて思うことが云えない。だから重役、軽輩にかぎらず下役が来て物言うときは、非を聞いたなら「なるほど」と顔色を和らげ、理にかなうところをよく聞かせる。そうすると下の者は心よく納得するのものである。

 近ごろの人は自分より身分が下の者が発言したとき、上役に責任が及ぶことを恥じ、下の者の発言を「けしからん」と封じるようになった。自分が発言したことが非常識と思っても、それを恥と思うことは間違いだ。上役でも下役でも理は理であり非は非である。このことをよく考えよ。これまた誠実でさえあれば、このように権威をもってすることは無くなる。権威や威光をもってすれば、人々は表向きは随うように見えるが、内心は随ってはいない。このことをよく心得て、心中から人が納得するようにするのだ肝心だ。これは一分をよく慎んでいるならば、人が恥じて自ずから随うものである。とにかく少しへり下って物を言うことだ。一分をよくよくへり下って、真っ直ぐ正直を元にして相い勤めることである。

 上役の指示命令も役職に威厳は自然に備わる。その上に自分が少し威厳を加味すると度が過ぎる。少し威厳を加味するとは私欲不実のなす不礼からだ。どのようにへり下っても、まっすぐに勤めたならば、そこには程ほどの威厳が生まれる。作られた威厳には一度は人が随うが、内心は心服していない。人徳をもってすれば心服して随うもの。人徳というのは誠実に人道を守れば、人徳は自然に備わる。

 【御支配これある輩は其の頭支配の旨趣に随うべし。
  然りと雖も存じ入り奉公の筋納得せざる旨あらば
  何べんも申し断るべし。其の上にて許容なきにおい
  ては速やかに申し立つべき事】

 自分が組頭の支配下にあるときは、その組頭の命令指示に随うこと。けれども勤務奉公するなかで、納得できないことがあるとき、自分の意見を何度も申し上げること。それでも組頭が承知しないとき、正直にそのことを申し立て、事の理非を糾明すること。組頭の悪口を云うように聞こえるが、いかに組頭の指示命令であっても、少しでも悪いことと思いながらするのは主人への不忠である。主人に組頭を交代させると思うものはない。組頭が理に合わない事を言いつけられ、非と思いながら忌み嫌うことは不実である。正直ではない。主人のためにならぬと思ったなら、そのとおりを申すことだ。その上に異心がなければ、本当のことを隠さずに申し立てるべし。これ即ち忠義である。よくよく心得ることだ。

 【一、何事に依らず加担致すべからず、或は妨げをなし
  或は不行儀依怙贔屓すべて似合わざる業仕るまじき事】

 何事も加担することはならない。公儀御法度の徒党をたて契約をすることも同じだ。別してやってはいけない。妨げをなるということは、人のすることを妨ぐことである。悪事を止めさせるのは妨げではない。善いことをするのを、とやかく欲心や慢心から妨げるのは妨ぐ行為である。何事も意地悪い事と心得よ。意地悪いことをするのは妨げである。私欲から妨げをすることは慎むことだ。不行儀や依怙贔屓は武士がとくに慎むべき事である。自分に過ぎた奢りを極めたり、好色を好み大酒を飲むなど、これらはみな不行儀である。そのほか礼儀に背くことは皆、不行儀と心得よ。不誠実なら必ずえこ贔屓があるぞ。総じて自分に似合わない業とは武士道に背く業のことだ。武士たるものは軽薄、追従なども似合わない業である。権勢のある者に頼って、立身しようと思う心も不実から出てくる。決してけっしてやってはならぬ。大いにいましめるべき事である。

              
松平乗邑「亀山訓」 その9


 【一、上下に依らず賭の諸勝負堅く停止の事】

 上役、下役ともに賭け事の諸勝負は武士がやる法ではない。世間の人は大抵が賭け事を好むもの。だがこれはやってはならぬと、主人の私から堅く申しつけておく。

 【倹約申し付くる趣いささか相そむくべからず。人々
  存知たる厄介またはよんどころなき失墜浪費は格別
  くだんの仔細なくして、みだりに借金買い懸け、これ
  有り進退衰え軍役ならびに奉公勤め難き輩は不届きた
  るべき事】

 倹約は別の書に載せて申しつけた。それに書いてあるとおり、よくよく覚悟をすることは、武士のたしなみである。進退すなわち身代が衰えれば、軍役も奉公もできない。どうしようもない仔細があるか、または厄介が多い者などは別だが、それとても遣り方があるだろう。贅沢させしなければ浪費はない。衣食住から気をつけよ。それで倹約ができるのだ。一で済むのも二重になり、食も一品の菜でよいものが、二菜になっていく。畳が一畳で足りるのに二畳に広げて倹約をしない。これは贅沢からでることである。千畳、万畳の広い家に住んでも、自分の身体を置いて座る場所は一畳で済むものる。

 このことをよく心得、ほどほどに万事を倹約を心がけすればよい。奢りはうえにすぐに目がつく。倹約は辛抱すれば何事もそれなりに済む。倹約と「しわき」とよく間違えられるが、人が云う「しわき」も自分の心が倹約と思えばよい。
少しのものが人前で倹約すると言っても、その心が「しわけ」れば「しわけ」である。何によらず自分の心に隠すことがないよう真心で行うこと。いまの人は表むきかりの事に流されるが、実に気の毒である。少しの努力で身上は良くも悪くもなる。ほどほどに軽いといわれるほどでなくては、倹約は成就成りがたい。軽いと云われるのは恥ではない。倹約と吝嗇と間違えられるような努力のうち、日頃もずいぶんと「しわく」見えるようになる。お祝いなどの祝儀にのぞんで、財を提供するのも少しも惜しくなくなる。「しわき」は日頃も「しわく」、礼儀の際にも「しわく」義理を欠き、恥をかいてもただの財宝を惜しむものだ。この二つをよく考えてみることである。

 また世間では綺麗好きだといわれ、他人より勝る綺麗好きな人がいる。誰も不浄なものを好む者はいないが、あまりにも綺麗好きでもどうか。これは病気だという説もあるが、結局は驕りのなすところと思う。皆も清潔で綺麗にし心がよいほど、自分の心の塵がないように心も綺麗に掃除せよ。この数奇が昂じると礼儀を欠くこともある。だからほどほどにと思い、ここに書き加えたものである。

 【振る舞い乱酒など音信贈答一切停止たるべし。
  たとえ祝言たりいう共、一汁三菜これを過ぐる
  べからず。万事軽少たるべき事】

 この意は奢りを止めさせるべきためである。振る舞いは昂じるもの、後ではお互いに我れ勝ちになりたがるもの。乱酒は本心を乱す不礼の儀である。音信贈答すれば真面目な人と軽薄者と紛らわしくなる。この書でもって法度を出すのは、朋友の中でも音信贈答しなくてはならぬ故に停止とした。倹約にもならない。それ以下は「皆倹約をもっぱらにいたせ」との存念である。人々は同僚朋輩の招きに応じ、一会の饗応を受けたときは喜んで心に忘れないが、自分もまた重ねてその人を招き、もてなしをしようと思う心、それは世間の人なら皆持っている。これで君の恩を考えるとき、誠に誠に感謝にたえないものだ。ただ我が身が日々に君主から饗応を受けている。家中の諸人奴婢下僕にいたるまで、主君の饗応にあずかっているのはどうしてか。それは一飯の恩に報いるのは知っているが、主君の恩を深く考えず、知らざる思わざるの風潮が甚だしい。朝夕に膳にむかい食するのは、皆主君の饗応である。深く考え思うべき事であろう。


松平乗邑「亀山訓」 その10


 【一、屋作など美麗に及ぶべからず。その分限に随い
  補修致し持ち荒らし申すまじき事】

 これは倹約することを是とするためであり、この文のとおりである。 

 【一、面々相対を以って縁組養子致すべからず。すべて
  母妻子ならびに家内の厄介、他所へ差し越すにおいて
  は役人へ達し指図に任すべく。もし断りなくして差し
  遣わすときは、隣家、見聞次第ひそかに役人へ申し
  届けるべき事】

 個条のとおりである。相対すなわち個人同士でおこなうことや、自分たちだけの個人行為は藩士の身分を忘れ勝ちとなる。公人たる身を忘れないこと。以下は皆同じ。

 【一、他所、人尋ね来るにおいては役人へ相達し指図を
  受くべし。たとえ親類たりといへ共、断りなくして
  城下に留め置くべからざる事】

 この文のとおりである。これはまた許可なくして、他人を滞留させるのは私人の行為である。

 【一、組ならびに支配方これある面々、公私法度の
  おもむき常常堅く申し付くべし。もし相背くものこれ
  あるにおいては、その組頭、支配方の落ち度たるべし。
  総じて組支配の者、相抱えの節は同役、お互いに吟味
  をとげ、依故贔屓なく召し置くべき事】

 この文のとおりであり前後の文を考えて読むこと。その組支配として、下役部下の不満を知らないことは油断の原因になる。申し立てないのは上役の落ち度である。よく心得ておくことだ。公とは公儀のこと、私とは個人の資格自分のことである。

 【一、昼夜を限らず足軽中間また者(陪臣)に至るまで
  用なくして町あるき辻立ち仕るべからず。この旨その
  頭主人より堅く申し付くべし。もちろん見物類停止の
  事】

 身分の軽い者が用もないのに、町を歩いてはよからぬ事も起るからだ。町角に立つことも同じである。見物なども不礼にあたる。見物の場は人が多く入り込む。だから制限するのである。なにか事が起ってからは主人にも責任が及ぶし、下の者も身分を失うことになる。

 【一、百姓町人に対し、いささか非議致すべからざる事】

 武士の役目は農工商の人のために仇をなす者を鎮め、農工商の人の生活を安定させる役目である。農民の作る米穀を無理に取って食ったり、工人に家をつくらせ、それに金も払わずに住む。商人の売り物を金も払わず取るなどは盗賊である。その盗賊を征伐して、農工商の三民を安んずる役人が、百姓町人に対して非常識な行為をしてはならぬ。四民はそれぞれ役目を果して国家が保たれる。よく深く熟考して非議のないようにせよの意味である。百姓とは農民、町民とは商人、農工商と言えば個条にも三民に対してと書くか、農工商に対してとか書く。むかしは百姓町人と言ったが、世間で言われている言葉のとおりこの書には書いた。
 
 この趣旨を堅く守るようにそれぞれ召使に至るまで
 徹底するよう申しつけるものである。
      宝永八年(1711)四月一日

 私の側近たちがこの亀山訓を読み、人道を学ぶ一助にでもなれば大いなる幸いである。不真面目に見られれば、還って私が力を尽くして筆を染めた甲斐もなくなる。どうしても読みたいという者に見せよ。それでない者には見せてはならぬ。            五月二日
   容膝亭の灯火において筆をとった
               松平乗邑  御判

                      【終】


 ◎愛知厚顔のつぶやき。
 亀山訓は将来藩主となる者への、幼少からの教育や心得について述べられたものだが、学問や武芸に励むことは勿論、一芸に秀でさせたうえ軍学も学び、遊楽の類は一切禁止し、藩主の道を一筋に精進させ、子孫から勝れた人材を輩出することが、先祖に対する第一の孝行であると教えている。これは松平家藩主だけに限らず、広く藩士たちの教育の基本という性格のものであったと思っている。

参考文献  西尾市 岩瀬文庫所蔵「亀山訓」
「亀山訓」の一部  西尾市、岩瀬文庫所蔵

 
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