東海道の昔の話(3)
   蜂の山賊退治                愛知厚顔 70代 元会社員 2003/7/7投稿
  今は昔、京都に一人の水銀商人がいた。
 もっぱら誠実に商売に励み、大いに富を築き裕福になっていた。
彼は長年、伊勢国と往来し馬百頭に水銀のほか絹、布、糸、綿、米などを担わせ、いつもはただ年少の童に馬を追わせて行くだけだった。
 こんな道中でもまだ盗賊に紙一枚も盗られることがなかったし、財物も失うこともなく火災にも遭わず、水害で溺れることもなかった。
 とくに伊勢国は治安が悪く、父母、親戚、貴賎を問わず互いに隙を見ては相手をダマし、弱い者の持っている物を平気で奪い取るひどい土地である。けれどどういうわけか、この水銀商人だけは盗られることもなかったのだ。ところがどういう盗賊か、八十人ほどの一味が他国から追われてきて、この鈴鹿峠に住みついた。

 ある日、この水銀商人が子供に馬の手綱をとらせ、いつものように峠を越えようとした。それをこの新参者の盗賊が見つけた。
  『なんとえらい馬鹿者だ。こいつの荷物はことごとく
   奪い取ってやろう』
と彼らは鈴鹿の山中で一行の前後に立ち
  『命が惜くば荷物を置いて立ち去れッ!』
と脅したので、童はたちまち逃げ去った。そこで荷駄はみな追いかけて奪い、女どもの着物は剥ぎ取って追い払った。このとき水銀商人は少しもあわてず、近くの小高い丘に登っっていく。盗賊もこれを見ていたが
  『あいつ、これじゃ大したこともできんだろう』
とたかをくくって、みな谷に入っていった。

 さて、八十人ほどの盗賊は奪った品物を争って配分し、のんびり構えていると、かの水銀商は高い峰の上に突っ立って、まるで何とも思わない様子で大空を見上げながら大声で
  『どうした、どうした。遅いぞ、遅いぞ!』
と叫ぶ。すると一時間ばかりして大きさ三寸ほどもある、恐ろしげな蜂が空に現れ、ブーン、ブーンと羽音を立てながら、そばの高い木の枝に止まった。水銀商はこれを見て一段と心をこめ
  『遅いぞ、遅いぞ!』
と云っているうち、にわかに大空に二丈ほどの幅で、はるか長く連なった赤い雲が現れた。道行く人も
  『あれはいったいどういう雲なんだろう』
と見ているうち、盗賊どもは奪った品物を荷造りしていたが、その雲がしだいに下りてきて盗賊のいる谷にはいっていった。
 木に止まっていた大蜂も飛び立ち、そちらの雲に混じっていく。
なんと、あの雲と見えたのは無数の蜂が群れをなして飛んで来たのであった。こうして、沢山の蜂が盗賊一人一人に取り付いて、ことごとく刺し殺してしまった。鈴鹿峠土山の常夜灯

 一人に百、二百匹の蜂が取りついたら、どんな人間でも助かるはずがない。それを一人に二、三石もの蜂が取りついたものだから、少々は打ち殺せても結局は盗賊全部が刺し殺されてしまった。
その後、蜂が飛び去ると、雲もきれいに晴れたように見えた。
 そこで、水銀商はその谷に下りていき、盗賊が捨てた多数の弓、馬、鞍、着物のほか、多くの蓄財を持ち帰ったのである。
 じつを云うと、この水銀商は自宅に酒を造っておき、ほかのことにも使わず、もっぱら蜂に飲ませて大切にしていた。だから彼の持物はどの盗賊も奪わなかったのだが、この事情を知らない新参の盗賊が奪い取ろうとして、このような返り討ちにあったのである。
 されば蜂さえも物の恩を知るものだ。
 心ある人は、人から恩を受けたなら、必ず恩に報いなければならない。

 これは天永二年(1111)頃に著された「今昔物語」に出ている話である。
 この物語には鈴鹿山の説話が五つほど収録されているが、いずれも盗賊に関係している話である。 
 
戻る