東海道の昔の話(31)
 ウス岩、キネ岩         愛知厚顔 元会社員2003/10/16投稿
 
 農業技術と灌漑施設が発達した平成のいま、旱魃の年にであっても
  『雨を降らせてください』
など、祈って雨乞いをする風習が残っているとは思えないが、つい近年まで雨乞いの風習があった。
 亀山市の中心街から少し北の集落で私は少年期を過ごした。
たしか戦時中の昭和十九年ごろだった。
 その年は近年にない大旱魃となり、田も畑も作物が枯れて、人々は困ってしまった。そこで先人からの言い伝えどおり、
  『雨乞いをしてお願いしようではないか』
となった。そして村はずれの崖の下にある祠跡に祭壇をしつらえた。神主の先導で祈りの神事が厳粛におこなわれたあと、村の男たちが交代で連日連夜、太鼓を連打して祈っていた。

 私の家は母子家庭だったが、男だということで小学六年生なのに、一家で代表一人の雨乞いに動員させられた。もっとも体力がないので太鼓は打たせてもらえず、もっぱら焚き火に薪を追加する役だった。そのとき青年団の人々がドブロクを呑みながら
  『科学の世の中に、こんなことで雨が降るわけないやろ。
   けど長老たちが雨乞いに熱心なんでやるしかないわな』
とぼやいていたのを覚えている。
 雨乞いの祈りが通じたのかどうかは知らないが、そのあと数日して雨が降ったのも事実で
  『やっぱり雨乞いの祈りが聞き届けられたんや』
子供心にも感心したのを記憶している。

 わが国の雨乞いのことがは初めて文献に出てくるのは〔扶桑略記〕だとされる。それには西暦六百廿二年に高麗から来た高僧に命じ、ときの推古天皇が国家の行事として大規模な雨乞いが行われたとある。
 しかしこんな行政が主催するずっと以前から、一般には弥生時代とされる稲作農耕の始まりから、日照りの年の水不足、近隣の集落との間の水争いなどから、土着の民たちの間では、雨乞いがごく自然発生的に行われはじめたと思ったいた。
 ところが学者のなかには、
  『雨乞いの儀礼は仏教伝来と一緒に入ってきた』
という人もがいて、どちらがどうなのか頭をヒネる。

 雨乞いは私のいた比較的町に近い集落でも行われたように、昔はあちらこちらで広く行われたようだ。その対象もやはり高い山の上とか、神秘な深い淵とか山の上の池が選ばれている。亀山の藤山地区にある竜ケ池でも、雨乞い儀礼がたしかにおこなわれていたそうだ。
近くでは鈴鹿山系第二の高峰、雨乞岳(1238m)。
ここでは山の名前にまでなっている。
 もちろん亀山市安坂山町の雨引山(411m)や野登山(952m)でも盛んに行われた。中でも石水渓ちかくにあるウス岩とキネ岩では、火を焚いて汚物を燃やす雨乞いが行われたという。
「臼岩、杵岩」
 石水渓の流れに沿って安楽越えの方向にむかうと、鬼ケ牙の凄絶な大岩群が頭上にのしかかる。安楽川本流と支流の出合から右の尾根を岩稜伝いに登攀すると、やがて尾根の上にたどりつく。
そしてそこに見出されるのは、餅つきのウスとキネの形そっくりな「臼岩」と「杵岩」である。
 これは古来から神聖な岩として知られていたものだ。

 天保五年(1833)渡会郡の学者、安岡親毅が著わした地誌「勢陽五鈴遺響」は、天明年間から五十余年を費やして執筆されたものだが、桑名、員弁、朝明、鈴鹿などの北勢から中勢、南勢、伊賀など、この地方の全域にわたり、人口、石高、伝承、地勢、神祇、沿革など、広い分野にわたっている。地誌にはほかに「三国地誌」や「勢陽雑記」などがあるが、平成の時代に至るまで「勢陽五鈴遺響」を越える史料は発行されていない。
 
 そのなかに
  『臼杵ケ岳にて牛や馬の臓物を火中に投じれば必ず雨あり』
との記載がある。すなわち神聖な山の上で牛馬の贓物や骨の類を燃やし、煙りや悪臭を発生させて神を怒らせる。その結果、雨が降ってくるというわけらしい。これは仏教伝来で入ってきた御経の請雨経を読んで雨をお願いするのと根本的に異なっており、おそらく日本の古代の弥生のころまでさかのぼるだろうと云う。
 鈴鹿山系の山頂で行われた雨乞いの形式は、
 (1)山を登って火焚きをするもの
 (2)鉦、太鼓を打ち鳴らす
 (3)山頂の池の竜神に祈願する
に大別されるが、ウス岩キネ岩は火焚きの典型例である。

 この雨乞い儀礼のピ−クは江戸時代と思われる。
それは水稲中心の農業政策で限度を越えた水田開発が行われ、水の絶対量が不足したこと。それは農政の失政だったのだが、現実には農民の責任に転化された。彼らは自ら水利工事や溜池を作って涙ぐましい努力をしたが、それでも水不足は解消できなかった。
残る手段は神仏に願をかけるしか方法がなかった。

 安岡親毅が記した古い形式の雨乞いが、天保年間にはまだ現実にウス岩キネ岩で行われていたのだろう。しかし平成のいまはどうなのか…。灌漑の発達や農作技術の向上で、雨乞いはすでに廃れているとは思っていたが、地元の人に訊ねたところ
  『雨乞いをしたという話は聞いたことがあるが、
   実際に行われた覚えはない。それよりウス岩キネ岩は
   尊い岩やで大事にせなあかんと、子供のときに言われた』
とのこと。思うに貴重な岩ということは、岩に何らかの超自然の力があると信じられた証拠であろうし、そこから山や自然を見守る神の存在を人々が確信したのだろう。その結果、雨乞い儀礼が生まれても不思議ではない。私の住んでいた町に近い集落でさえ雨乞いをやったのだから、この神秘な臼岩、杵岩に村人が注目しないはずがない。

 人々が雨乞いを祈る神も、天地をつかさどる神であったり、池や淵に住む竜王、竜神。または山ノ神や女神の山姫であったりする。
ウス岩キネ岩の神様は誰かわからないが
  「ここには間違いなく万能の神が宿り、雨水を請い願う聖地である」
 そう結論を出して自分を納得させたのであった。

 この貴重な臼岩杵岩に黄色いペンキで「△△□山岳部」と書き入れた山岳会がある。もう三十五年も昔なのにいっこうに消えない。
平成十五年の春もまだかすかに残っていた。この会は岩の謂れや雨乞い伝承を知っていて落書きをした、いわば確信犯なのが私には許せないのである。 


参考文献   「勢陽五鈴遺響」「三国地誌」「雨乞習俗の研究」
       「鈴鹿山地と周辺地域歴史文化学術調査報告書」
 
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