みんな貧しかった    仙の石 50代 会社員 2003/5/22投稿
  私たちが子どもの頃、みんなが貧しかった。
テレビがある家は限られていたし自家用車を持つなどアメリカだけの話だと思っていた。
子どもの世界でも貧富の差は歴然としていて着ている服から、お弁当の中身まで違った。卵焼きなど贅沢だった。学校給食は都会の学校では行われていたようだが貧乏市の亀山では望むべくも無く、せいぜい冬季にわずかの豚肉が混じった味噌汁だけの給食だった。あんなもの今では誰も食さないと思うが脱脂粉乳の提供があったのもその頃だった。バナナは店先に並んでいるだけで高嶺の花だった。唯一遠足の時にバナナを持っていければ恵まれたほうだった。
しかし自然の幸は豊富だった。田んぼにはタニシがいて拾ってくると湯がいて味噌で食べると美味だったし秋の山には食べられるキノコが豊富だった。
私の家庭も多くの家と同様貧しかったが近所には父親が酒乱の家庭があり、そこの母親や子どもたちのあまりにみすぼらしいなりを見たら我慢できた。近所で裕福な子の親の職業は国鉄と電電公社の職員だった。そんな家庭の親が「子どもは大学にやらなければ・・・」といっているのを別世界のように聞いていた。せめて高校だけは出してあげたい、ほとんどの親がそう願って必死に働いてきた。
生活が大きく変わったのは大阪万博があった1970年(昭和45年)以降だろう。ほとんどの家庭が自家用車を持ちショッピングセンターができ大量消費の時代が始まった。一億総中流家庭とか言われ貧富の差は急速に無くなり、もはや「貧乏だから学校に行けない」とは過去のことになってしまった。
それから何十年経った今、もの心ついた頃から既に豊かな時代を享受してきた世代が親となり子育で、教育で様々の問題にぶつかっている。不登校、学級崩壊、高校中退、親子の意識の断絶等々・・・・・
戦後教育の失敗などという人がいる。では戦前は良かったのか。
それこそ国家権力が個人を、男性が女性を、親が子どもの尊厳を踏みにじってきた時代ではないか。男たちは一片の紙切れで戦場に駆り出され若くして命を落とし、貧乏なものは病気でも医者にかかれず、労働者は早朝から深夜まで働かされ、多くの女性が望まない結婚を強いられ貧しさから苦海に身を沈めた時代ではなかったのか。そんな社会をつくってきたのが戦前の教育そのものではないか。
この豊かになった今こそ苦難の時代の犠牲となり、あるいは必死に生き抜いてきた先人たちの夢が成就した時代ではないか。今はけっして悪くはない。ベストとは言わない。そんな楽園はどこにも無い。それでも日々飢えることも無く個人が尊ばれ言論、信教の自由があり徴兵制の無い国にすんでいる人が世界にどれだけいるか。歴史を振り返っても過去の日本にあっただろうか。

それなのに私利私欲に明け暮れ日々生かされている喜びを忘れ、自分たちが何ゆえこの世に生命と肉体を与えられたか考えることを忘れてはいないだろうか。
今日の日を無事に終え、眠りの前に、そして明日の朝、目覚めたときに、今日も生かされていることを思い感謝しよう。普通に呼吸ができるそのことでさえ成り行きでも偶然でもなく人知の及ばぬ力によってなされていると考えよう。

自分はなぜ自分として生まれこの世に生きているのか、「自分探し」をしている若者たちへ・・・・その答えは得られないだろうけど自分は誰のために、この世に生を受け今生かされているのかを考えよう。そこからあなたの新しい未来を開いていこう。
 
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